身辺雑記

子連れアメリカ生活4年目(一女一男)。日本語の衰えが激しい。思いつくままに書き綴る身辺雑記。

内田師匠の文体論から思い出したこと

私はかつて内田樹さんの本にハマっていた時期があった。いや、今でも読み返すことはあるのだから、かつてハマっていたという表現は正確ではないのだが。ただ、その頃は随分と入れ込んで、片っ端から図書館で借りたり自分で買ったりしながら読んでいた。何故か分からないけど説得力のがある。「強い」「粘りのある」「芯に響く」言葉であった。

当時を思い返すと、キリスト教の神学校へ通っていたけれども、定型化されたストックフレーズから語られる「救い」の言葉に対して違和感を感じていて、これはどうにかしないと、と語り方と語ることについて手がかりを探し回りながら生きていたような時期だったように思う。今から振り返ってみると、非常にモダン的な「真理の提示」たる態度と、病や問題、罪責感に対する解決策としてのキリストという福音観は、ポストモダンと言われる相対主義的な雰囲気の中で育った自分には感覚的に合わず、また人生を謳歌し、これから社会に貢献しようとしている優秀な友たちに対して自分が心の底から語れる言葉になっていなかったのだと思う。

 

『街場の文体論』韓国語版についての質疑応答 (内田樹の研究室)

最近頻繁にブログを更新している内田師匠。(直接師事したわけではないが、この呼び方が非常にフィットしているような気がするので、勝手にそうお呼びすることにしている。お世話になってます、お師匠。m(_ _)m)そんなお師匠の著書が韓国で人気を博していて、何冊も翻訳されている。

インタビューの記事なのだが、その中でこんなやりとりがあった。

問い4 先生の著書はもう幾つも韓国に紹介されています。先生の著書が韓国の読者に愛読されている秘訣は何でしょうか。

よくわかりません。もし理由が一つあるとすれば、長くフランス文学の研究をしていたことだと思います。論文を書く時にはいつも「これはフランス語に訳せるだろうか。訳した場合、どういう文になるだろう」ということを考えながら書いていました。フランス語に訳せないような文はできるだけ書かない(フランス語に直すときに苦労するのは自分自身ですから)。ですから「日本語を母語としてない人たちが読んでもわかるように書く」という習慣はわりと若い時期から身体化していたのだと思います。

書き方の作法として、「俺たち」の文体、つまり知っている人だけに伝わる文体ではなく、フランス語、つまり言語、文化を異にする共同体へ向けて論文を書くという。また別のキーワードとして身体化、ということもある。ストックフレーズではなく自分から紡ぎ出される言葉を使うからこそ、腑に落ちる、芯に響く言葉になるのだと思う。(村上春樹さんの「壁抜け」も似たようなものかもしれない。言語を越えて共感を呼ぶ秘訣はそこにあるのだと思う。)

だからこそ、師匠の文体は同じ日本語を使う人々にも深く届く。射程が違うのだ、と納得がいった。

細かく批判を想定しながら論拠を示していくアカデミアの作法は有効な部分とそうでない部分がある。人になんとか届かせよう、という文体は身につかない、むしろ(半ば暴力的にであったとしても)自分の正しさ、正当さを示すのが、その目的であると思う。そういう作法を用いつつ語りかけることもできるのかもしれないが、それは別のところで養われ、湧き出してくるものだと思う。

願わくば、師匠から少しでも学びとって、人に届く言葉を語りたい。

ちなみに、私がもっともお世話になった内田師匠の本を一つ挙げるとすると、「先生はえらい」という本かと思う。最近は、教師を評価し、あるいは見下げることさえ多いが、そのようにしていては学べることさえ学べなくなってしまう。自分は賢いと思っていた子どもだった自分にとっては(嫌な奴ですね。扱いやすい子ではなかったと思います、控えめに言って。)非常に大切な視座でした。中高生向きの新書ですが、大学生でも、大人でも、手にとってみると面白い発見があるかと思います。

 

先生はえらい (ちくまプリマー新書)

先生はえらい (ちくまプリマー新書)